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森一敏
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 07会派社民政務調査(行政視察) 沖縄編 
(2008年2月5日〜7日)

沖縄県 読谷村 平和行政と戦争体験継承 チビチリガマフィールドワーク
     名護市 辺野古テント村連帯行動
     宜野湾市 株式会社佐喜眞義肢訪問 義肢装具製作の諸課題

  雨模様の沖縄は、プロ野球のキャンプ歓迎ムード一色でした。私は4度目の沖縄。いつも、人間の人情と前向きな生きる姿勢を感じさせる人の出会いに勇気をもらってきたように思います。今回の会派政務調査でも、今まで以上にその気持ちを強くして帰ってきました。

 5日は、レンタカーを運転して、まず、読谷村を訪れました。「平和行政と地上戦の歴史継承」をテーマに前田議会議長、仲宗根盛良議会事務局長、読谷村企画財政課与那覇準課長、知花正人主査から、読谷村の基地とのたたかい、返還土地の利活用、そして、毎年積み重ねてきた平和創造展、地区毎の慰霊塔建立と慰霊祭などについて、熱のこもったお話を伺いました。平和創造展では、日本の侵略、南京大虐殺、731部隊、朝鮮植民地支配などをとりあげていて、私たちが市民運動でとりくんできた内容を行政がとり組んでいるのには、驚きました。しかも、その内容に対し、批判や妨害などは全くないといいます。地上戦を経験し、基地を強いられてきた読谷村ならではの人々の意識のようです。
 今日的な問題としては、一つは嘉手納基地の早期返還を求めて、2月はじめに司令官に村行政、議会を挙げて直訴を行ったこと。もう一つは、沖縄戦集団自決の教科書記述問題についてです。沖縄住民と「内地」住民の意識のギャップ、とりわけ政治家の戦争の歴史に対する事実を見ようとしないで、美化する姿勢に強い不信感と怒りを語られました。読谷村には、集団自決事件があったチビチリガマがあります。村として、戦争体験者からの聞き取り調査を行い、証言をテープに収録していると言います。それを活字化し、証言記録として平和創造展などで公開するとりくみを進めているようですが、集団自決事件については、まだテープからの活字化には到っていないようです。
 チビチリガマ遺族会の与那覇会長さんが、私たちを役場から車で10分ぐらい離れたチビチリガマ(壕)を案内してくださいました。、惨劇のあとの遺骨がまだ残っている壕内を踏み荒らされるというので、壕内には立ち入りを禁じているのですが、わざわざ金沢から学習に来たのだからと、壕内まで案内してくださいました。ろうそくで、灯りをともし、祭壇に黙祷を捧げ、しゃがまなければ入れない壕内に入りました、避難生活当時の生活物資が残されていました。与那覇会長さんのおじい、おばあが自決した場所が指さされました。この集団自決は、戦後生き残った関係者が誰一人口を開かず、戦後38年間たってようやく証言が始められたのです。 それは、なぜか。与那覇会長は語ります。遺族の複雑な感情、家族同士、近所の村人同士が殺し合うという修羅場を体験した人の心中を察することです。与那覇さんも、祖父母の自決について、人づてに聞いているのです。お母さんがひとりぼっちになって精神的に苦しんだこと、村人でアルコール依存症になった人のこと、中国戦線帰りの兵士が壕内にいたこと、2度、助かる機会があったこと、沖縄戦は、戦後も人々を苦しめ続けたことを淡々と語られました。そして、「これからは、語り継がなければならない。遺族会として、チビチリガマの歴史を継承する企画を考えていると締めくくられました。文科省による教科書検定意見が撤回されない中、沖縄では、人々の新たなたたかいがのろしを上げているようにも感じられました。沖縄に苦難を押しつけ、切り捨てる側に立ってきた「内地」に生きる私たちは何をすべきか、宿題を持ち帰りました。

  6日は、朝、米軍普天間基地返還に伴うヘリ基地建設計画に10年間闘い続ける辺野古のテント村を訪問しました。10年間のたたかいは、6日現在で1389日間の非暴力不服従の海上阻止行動となって、日米両政府を揺るがしてきました。ちょうど、国の環境アセスメント方法書を批判していた仲井間知事が、改定方法書を評価し、海洋調査に協力を表明した翌日で、メンバーは、那覇に抗議に出向いていました。具志堅さんが、応対してくれました。2年前に訪問した私たちに、たたかいの報告をしてくれた青年はたたかいのなかで知り合った女性と結婚し、子どもをもつ父となっていました。10年のたたかいは、命の世代交代をしながらも、脈々と受け継がれているのでした。
 金沢での自衛隊の行軍訓練も話題になりました。海洋調査に海上自衛隊の「ぶんご」がやってきたことで、軍隊とは住民の側ではなく、権力の側にあるものであることが明らかになったと言います。全国で、武力は平和をつくれないことを掲げ、それぞれの地でたたかうことが、沖縄のたたかいをも支えることになる。短い時間でしたが、連帯の対話ができました。連帯カンパを渡し、辺野古をあとにしました。

  
その足で宜野湾市に車を走らせ、株式会社佐喜眞義肢を訪問しました。長野県のリハビリテーションセンター義肢装具製作部を視察した直後に、偶然のタイミングでNHKテレビ「プロフェッショナル」で、沖縄の佐喜眞義肢装具士が採り上げられたのを観ました。議員団でも話題になり、私たちの課題を深めるために、宜野湾市の佐喜眞さんを訪問することにしたのです。議会事務局を通じ、宜野湾市議会事務局から佐喜眞さんにコンタクトをとってもらい、視察を快諾して頂いたのです。
  佐喜眞義肢に到着すると、すぐに佐喜眞保さんが人なつっこい満面の笑みで、私たちを出迎えてくださいました。合計12人の職員さんがおられる事務所で、視察訪問の理由をお伝えし、早速懇談に入りました。あの「プロフェッショナル」では、義足を使う人が痛みを感じることなく装着できるよう、何度でも調整する姿、極限のフィット感を得るために独自の型取り方式を探求する姿が放映されました。この合うまで調整するという手続きがなかなか実行されないことが、金沢でももいんだいになっていること、手間の割にもうけが薄く、撤退する製作所が出ていることを伝えると、佐喜眞さんは、技術者の技術に対する金銭的な手当がもっと必要であることを強調されました。コストを下げる方法は、いくつもある。一例としてソケット(足を入れるところ)が合わないため、作ってもらっても押入に眠っている義足が複数あることは珍しくない。そのパーツを下取り代を払ってでも回収して再利用すればコスト低減になる。米国製の材料がそもそもコストが高すぎる、輸入に何か利権が絡んでいると考えてしまうほどだ。財政面とシステムの面両面から改革が必要だと強調されました。
  私たちは、義足をメインに義肢装具供給体制のありかたを学習しようと訪問したのですが、佐喜眞さん考案の特許装具「CBブレース」には驚きました。正式名「センターブリッジブレース」とは、膝関節装具の中心に湾曲したブレース(梁のようなブリッジ)を渡して膝関節のゆがみを矯正するという仕組みです。私たちも装着してみました。驚きです。足が勝手に前に向かって出ていくという感覚なのです。膝に痛みがある人は、装着すると瞬時に痛みがなくなるというのです。

 途中ですが、ちょうど今から(2月10日18:30から)北陸放送テレビで佐喜眞さんを特集した「夢の扉」が放映されます。録画しながら視聴します。続きはそのあとにします。
 ・・・・・・
  「夢の扉」を見終わりました。佐喜眞保さんの独特の笑顔が、20年間膝痛と闘ってきたという女優浅香光代さんや、内地から飛行機に乗って佐喜眞さんを頼ってやってきた患者さんたちとのやりとりと一緒に映っていました。
 私たちが訪問しているときも、東京から膝関節痛に悩む二人の女性が連れ立ってやってきました。杖無しでは歩けないというその女性が、試着用のCBブレースを装着したとたんに、痛みを感じることなく歩き始めたのです。階段の上り下りも楽々にできるのです。その瞬間の喜びの表情は、私の脳裏にもしっかりと焼き付いています。
  先程の番組でも佐喜眞さん自身が言っていましたが、CBブレースはスタート。リハビリの筋力トレーニングを行って、ゴールはブレースをはずしても歩けるようになること。装具は捨ててもらっていいものと言い切りました。ここが、佐喜眞さんの到達した哲学です。高齢者の変形膝関節症だけではなく、ポリオの後遺症で膝が固定できず、歩けなくなった障害児や障害者にも、CBブレースで自力歩行に道を開くことを考えていました。変形膝関節症は1200万人を越えているそうです。介護保険、健康保険財政の負担軽減が大きな課題とされていますが、このCBブレースが、適切なプログラムによるリハビリや筋力トレーニングと一体になって、介護からの解放、介護の予防に効果を発揮すれば、その制度維持にも、貢献できると強調しました。なるほど、そうした制度、財政にも関わる有用性を発揮する可能性を秘めた装具開発なんだと、我々一同認識が広がりました!
  佐喜眞さんが、症状の診断と装具の形状を設計するときに、提携している整形外科医武内正典さんも、紹介してくださり、一緒に昼食をとりながら、興味深いお話を伺いました。医療行政の問題、高額な医療器械に圧迫され、本来手厚くしなければならない医療従事者への報酬、勤務条件の改善がないがしろになっていると憤っていました。武内医師が開業するクリニックは、リハビリ用の筋力トレーニング室と、一般者用の筋力トレーニング室を備え、高齢者やプロスポーツ選手が一緒に汗を流す風景が見られるといいます。そのユニークな医療哲学を熱っぽく語りました。

 佐喜眞保さんが、ここまで到達するまでにいろんな紆余曲折が合ったことは、番組でも紹介されていました。ご自身が脊椎の病気に苦しめられたこと。この特許を開発しても、業界からは無視され、孤独に闘ってきた時期があったこと。マスコミが採り上げるようになって、ようやく認知が進み、今は義肢装具協会や全国各地から講演会に招きがあるようになったそうです。痛みに悩む患者さんを救うことに生き甲斐を感じ、その笑顔をわがことのように喜ぶ佐喜眞さんの姿に直に接することができ、多くの示唆を頂きました。議員団として、金沢で何が出来るのか相談を始めています。退潮がつづき、若い義肢装具士が育つ環境が失われつつある状況に、新しい展望を開けるかも知れない。援助は惜しまないとおっしゃる佐喜眞さんには、是非金沢にお越し願って、義肢装具利用者、行政、医療関係者、介護関係者、家族、高齢者団体等々、多方面に働きかける学習会なども、手始めにどうかと考えているところです。
  
  佐喜眞保さんは、偉ぶるところが全くないどころか、積極的にコミュニケーションを求められる方です。那覇に出向くから夕食を一緒に取りませんかと誘って頂きました。時間の関係でそれは叶いませんでしたが、是非またお会いし、語り合わせて頂きたいと願っています。

  最終日、沖縄市を訪問し、東門美津子市長を表敬しました。二年前の選挙戦の最中に、私たちは社民党県連合の沖縄訪問団として事務所を訪れ、市長選の必勝を激励したのでした。市長応接室で歓迎してくださった東門市長は、「シャッター通り」のシャッターを上げさせることを公約の第一に掲げて就任したので、結果責任が問われると言われました。確かにシャッターが降りた商店が目に止まりました。嘉手納基地問題も抱え、少数与党の議会でご苦労の様子でした。平和行政で互いにガンバロウとエールを交換し、空港に向かいました。

  持ち帰った宿題を果たしていくことは簡単ではありませんが、その道のりも楽しいものと、佐喜眞さんの生き方にふれて気持ちを新たにしているところです。 


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